趣味論

何年か前に私が知り合いに勧められて乗馬を始めようとした時に父があてつけのように釣りは得られるものがあるから良いと言っていた。私の乗馬の何が気に入らなかったのかさっぱりわからなかったがこういうことを繰り返し言われ私のやる気は萎えてしまった。内向きな私が珍しく表に向かおうとしていただけに今考えると非常に残念である。

それから暫くして今度は弟が船を買い父とたびたび釣りに行くようになった。色々な人が私にも釣りへいくように勧めてくるがそれをのらりくらりとかわしていたら母方の祖母が言っていた陰口を一言一句弟が余さず教えてくれた。これを聞いたときにもう絶対釣りに関わるのは辞めようと思った。祖母の発言にもイラッとしたがそれを本人に伝える弟の無神経さに腹がたった

そもそも趣味というのは日頃の束縛から解放され心身を癒す時間だと私は考えている。だから多少の違いはあれど趣味に貴賎は無い筈である。実利が無い乗馬が悪で実利がある釣りが正義という考えには賛同しかねる。というかこの考え方はあまりにもナンセンスである。本人が命の洗濯をすることが出来れば他人に迷惑をかけない限りどんな趣味でも認められるべきである。私のように内向きな人間に外に出て人や自然と交われと言うのは拷問のようなものである。その人にはその人に合った趣味があるのだから人の趣味に口を出すべきではない、何者であろうとも。