変わるもの、変わらぬもの

初代マリオカートが出たのは1992年。大流行したのは覚えているが私はあまり好きではなかった。いろんな人とと何回もプレイしたが全然楽しくなかった。だから上手にならなかった。

そんな私が4月末に出た「マリオカート8DX」を買ったのだがこれがびっくりするくらい面白くて睡眠時間を削ってまでプレイしてしまった。コースが起伏に富み、ショートカットやたくさんの仕掛けがいたる所に散りばめられているので走っているだけで本当に楽しい気分になれる。キャラクターもこれでもかというくらいたくさんいるので今日はこのキャラで走ってみようかなと気分転換にもなる。そして何よりも疾走感がたまらない。実際に高速で車をぶっ飛ばすのよりも気持ちがいいんだから本当にいつまでも走っていたくなるのだ。マリオカートの進化に素直に感動した。

 

ストリートファイターIISFCに移植されたのも同じ1992年。これは当時大変興奮しながらプレイした。一番最初に使ったキャラはダルシムだったと記憶している。当時からキワモノが好きだったんだなぁ…

マリオカートはあまりハマらなかったのでシリーズは追わなかったが格ゲーは結構気に入ったので色々プレイしてきた。ストリートファイターの系譜ならZERO2や4やX-MEN VS、MARVEL VSをプレイした。

そんな私が久しぶりにストIIをやろうと思ってウルトラストリートファイターII-The Final Challenger-を買った。この作品はストIIをひたすら進化させた作品だ。リュウやケンといったお馴染みのキャラから豪鬼は勿論殺意の波動に目覚めたリュウや洗脳されたケンなど登場キャラは全部で19人もいる。初代の頃にはなかった必殺技ゲージやスーパーコンボも実装されたので一撃での逆転も生まれるようになった。私が一番驚いているのは細かい部分は色々弄っているがストIIという根本的な部分を弄っていないところである。試合が始まったら向かい合ってる相手を倒せばいいだけである。難しいシステムやコンボは存在しない。各種パンチとキック、幾つかの必殺技だけで戦うスタイルは昔から変わっていない。今やると退屈かなと思うのだがやってみると難しいことを考えないでいいのでこれが実に楽しい。昔から変わらない楽しさがそこにはあった。

 

両方をプレイしながらふと思った。大人になるとゲームって上手くなるんだなと。昔は出来なかったことが今では結構上手くやれたりするので昔より楽しめている気がする。これは長年ゲームをやっているからこそわかることに違いない。

ちなみにマリカーではロゼッタストIIでは洗脳されたケンを使っている。ガチでやっているのでイロモノとかキワモノは使わないのだ。

プレイヤーを楽しませるため進化し続けたマリカー。一方変わらないことでプレイヤーを楽しませ続けているストII。それぞれの新作をプレイすることで色んなことを感じることができた。ゲームっていいもんだなぁ

ゴーストリコンワイルドランズ

ゴーストリコンワイルドランズは予想以上に楽しめる作品だったという話。

 

私は友人yと友人eと3人でプレイしている(現在進行形)折角だからロールプレイしようぜということでそれぞれ自キャラにソフィア、ジョニー、ヤバキチという名前をつけた。

私が操るソフィアちゃんは女隊長であり敵地に潜入する際は最前線に立つ。部隊の中では1番残忍な性格をしており敵を脅迫するのは専ら彼女の役目。武器はアサルトライフルだがアンダーバレルに装備しているグレネードランチャーで車両やヘリコプターを破壊するのが得意。

友人yが操るジョニーは索敵と援護が得意な黒人。連射が利くスナイパーライフルを所持し後ろから任務遂行の援護を行う。彼の真価はドローンの取り扱いに長けていること。ありとあらゆるドローンスキルを会得しているのでドローンはお手の物。車両やヘリコプターの運転にも定評がある。

友人eが操るヤバキチは超長距離スナイパーである。各種ガジェットを携帯しておりその中でも地雷の扱いで彼の右に出るものはいない。乗り物はジョニーが運転することが多いこの部隊において飛行機の運転は彼の担当である。勿論その腕は一級品。

この三人が麻薬カルテルサンタブランカに支配されたボリビアを救うために暗躍するというのが我々のストーリーである。うん、面白そうだな(白目

 

このゲームはいわゆるオープンワールド形式のステルスゲームである。メインストーリーを進めてもいいし武器やパーツ資料なんかを集めてもいい。苛々したら敵の拠点に攻め込んでストレス発散をしてもいい。自分のやりたいことをやりたいだけやっていいのだ。ただ少し厳しい言い方をすればこのゲームは一人プレイでやるとあまり楽しくない。複数人でやるから楽しいゲームなのだ。というのは情報収集→敵地潜入→戦闘というパターンの繰り返しだからである。たまに敵を拉致するという任務もあるが多くはドンパチすることが多い。一人でやると同じことの繰り返しに嫌になるかもしれないが複数人でやるとドラマがポンポン生まれるので飽きないのだ。

 

登場人物も個性的な顔ぶれでいちいち楽しくなってしまう。詳しく書くとネタバレになるので控えるがカルテルの拷問担当のカップルの片割れが明らかにマツ○デラックスだったり人の死体を溶かす担当者がいたり(川崎市のヤクザではなく)元殺し屋のDJがいたり(彼の放送は車内ラジオで聴ける)する。そして何よりも迫力があるのは彼らの上に君臨するボス、エル・スエーニョの存在感である。度々ムービーに出てきては面白いことを言うので我々の間ではギャグキャラとして扱われているが普通に恐ろしい男である。

 

PS4本体とネットワーク環境、一緒にプレイする友達がいる人には是非プレイしてほしい作品である。

 

趣味論

何年か前に私が知り合いに勧められて乗馬を始めようとした時に父があてつけのように釣りは得られるものがあるから良いと言っていた。私の乗馬の何が気に入らなかったのかさっぱりわからなかったがこういうことを繰り返し言われ私のやる気は萎えてしまった。内向きな私が珍しく表に向かおうとしていただけに今考えると非常に残念である。

それから暫くして今度は弟が船を買い父とたびたび釣りに行くようになった。色々な人が私にも釣りへいくように勧めてくるがそれをのらりくらりとかわしていたら母方の祖母が言っていた陰口を一言一句弟が余さず教えてくれた。これを聞いたときにもう絶対釣りに関わるのは辞めようと思った。祖母の発言にもイラッとしたがそれを本人に伝える弟の無神経さに腹がたった

そもそも趣味というのは日頃の束縛から解放され心身を癒す時間だと私は考えている。だから多少の違いはあれど趣味に貴賎は無い筈である。実利が無い乗馬が悪で実利がある釣りが正義という考えには賛同しかねる。というかこの考え方はあまりにもナンセンスである。本人が命の洗濯をすることが出来れば他人に迷惑をかけない限りどんな趣味でも認められるべきである。私のように内向きな人間に外に出て人や自然と交われと言うのは拷問のようなものである。その人にはその人に合った趣味があるのだから人の趣味に口を出すべきではない、何者であろうとも。

このブログを始めるまでの経緯

昨年末弟と酒を飲みに行った時に「お兄さんは何かを定期的に書くべきだ」と熱く言われた。私が書いたものをコッソリ知り合いに見せたら「他にこの人の作品無いの?」と言われた話もしてくれた。私は大学生の頃にmixiを始めて毎日のように更新していたのだがそれをやめたのも弟の一言がきっかけだったので「こいつまた勝手なこと言ってるなぁ」と思った。でもそんなことよりもその店のおにぎりがあまりにも美味しくてそちらに夢中になっていた。

年末年始の休み中に改めて何か創作活動を始めようかなとぼんやり考えていたが別件(友人kとの関係)で私は大激怒しエネルギーを使い果たしてしまった。暫く創作活動のことは脇に置いて精神の休息に時間を割くことにした。

桜の季節が過ぎ、五月晴れが続く頃にふと物を書こうという気分になった。ただ今の自分が物を書いても読んでくれる人が果たしているのだろうかと不安になったので友人や知り合いに連絡をとって直接聞いてみた。「私が書いたものを読んでくれますか?」と。そうしたら皆が口を揃えて「読みたい」と言ってくれた。私はこんなに嬉しいことはないと涙した。そして改めてペンを持つことにしたのだ。

では何を書こうかと考えた。小説を面白おかしく書ければいいのだが人の感情の機微を感じとれないコミュニケーション障害持ちの私にそれは無理なのである。だから私が日頃感じていることとか考えていることを改めて文章にしようと思った。ただこれだけではひたすら毒を吐き続けることになりかねないので読んだ本や聴いたCD、プレイしたゲームのレビューを書くことによって少し楽しい雰囲気を出すことにした。書くことに慣れてきたら最近ぽつりぽつりと書いている詩なんかも公開したいものである。